戦争へ行ったトラック
更新日:2010年8月20日
寒河江むかしさがし
市史編纂委員 宇井 啓
道場小路出身の斎院利雄は16歳で上京。大正12年(1923年)の関東大震災に遭い、着のみ着のままで帰郷した。しかも再び上京。「これからは自動車の時代だ」という思いで、警視庁で甲種免許をとった。
帰郷後、左沢の二葉タクシーや長崎いさば屋を経て昭和2年、アメリカ製「フォード」のトラックを購入して独立したのであった。ハンドルは木製であった。
昭和9年には寒河江駅前に移り、「斎院貨物自動車」の看板を掲げたのである。
事業も順調で、昭和15年には国産の「ニッサン」のトラックを6000円で購入した。13尺ボディの4トン新型車で、高畠まで寒河江地方の繭を運んだという。
しかし太平洋戦争に突入。「寒河江自動車有限会社」に合併。ガソリンは配給制となったのであった。
そして、このトラックにも徴用の赤札がやって来た。悲しむひまもなく、お国のためとカーキ色に塗装し直して山形三二連隊に送った。
厳しい戦局となったある日、見知らぬ兵士から「斎院さんの車がビルマ戦線で故障もなく活躍している」という便りが来た。家族の人はみんな喜んだという。
斎院家の所有だと分かったのは、「寒河江駅前カギショウ(注釈)斎院」という車体の文字がカーキ色の中から浮き出たからだったという。車も戦場で働いたのであった。
利雄は、第一貨物自動車に参加。昭和23年に48歳で、車社会の到来を見ずに、早い一生を終えた。
後商は、駅前開発で仲谷地に移る。斎院家は実に6度目に住居移転であった。
注釈:カギショウ、正しくは左の文字です
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