福田楼
更新日:2010年8月24日
福田屋旅館(大正3年)
寒河江むかしさがし
市史編纂委員 宇井 啓
山形秋元藩士であった石川郷右衛門家の次男悦之助。故あって小間物商となり、寒河江西の町に土着した。
並はずれた才覚で、商業・運送業・宿屋を営み、慶応2年(1866年)には、土蔵1棟を建てたほどだった。
福田屋(石川悦郎家)と称し、商人や出羽三山行者の宿として繁盛。明治38年には大改築を行い、昭和に入ると新土蔵も建ち、人々は福田楼と呼んだ。
通りに沿って玄関。足を洗って上がると、廊下伝いに2階座敷へと導かれた。東に面して蔵座敷。西門からも大広間に通じた。
福田楼は地方政界の拠点となる。明治23年第1回衆議院議員の選挙の時は、進歩党の事務所が置かれ、西村山郡羽陽正義会寒河江支部となった。この時、同党の宮城浩蔵・佐藤里治が当選した。
以後も郡会議員や県会議員の選挙のたびに、寒河江・西村山郡内の人々が福田楼に集まった。
大正2年以降の分厚い大福帳数冊。郡役所・警察署・大林区等の役人。睦合・永松鉱山技師・各町村の大地主・会津の行者等が昼食や宴会や宿泊に利用した。
大正2年11月13日の利用客は63名。同14日は50名という多数。名物のウナギの蒲焼き・コイの洗いなど季節の物が出た。
時は移り、3代以降は歯科医を兼ね、温泉も入った。
細腕1本で、福田屋を支えてきたお祖母さん。「今年も新茶ですよ」と、仏壇にお茶を上げに行った。
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