幸生の郷倉
更新日:2010年8月24日
間もなく取りこわされる郷倉
寒河江むかしさがし
市史編纂委員 宇井 啓
幸生小学校の民俗資料室に使われていた「郷倉」を見に行った。
「郷倉」には明かり窓をつけ、幸生の人々の生活の歴史を表す諸道具が古びたままに息づいていた。
「恩賜郷倉」という貴重な表札があって驚いた。この「郷倉」は、昭和9年(1934年)に東北地方を襲った大凶作を契機に、悲惨な農村の窮状を救おうとして建設されたものであった。
昭和10年10月の代表者秋葉伊次郎の「報恩備荒田」資料によると、この惨状が天皇のお耳に達し(天聴)、救援の思召の資金(内資)を下さった。これに国費と義捐金を合わせて「郷倉」を建設したとある。まさに、「恩賜郷倉」であった。
幸生の人々は、これを永遠に維持し、備荒のために「報恩備荒田」を開発した。「隣保共助」の精神で、「共同共栄」の実をあげ、天皇の御恩(聖恩)と国民の同情に報いたいとある。
備荒田の場所は「字明前」に40アール。幸生郷倉組合を組織。共同耕作して収穫物を郷倉に積み立てた。そして凶作に備え、種籾や食糧不足の時は、ここから借り出したのである。
幸生の郷倉は、学校の近くの旧道付近にある。あの足の高いコンクリートの土台に乗っている、独特の形態の木造倉庫。
太平洋戦争突入後は、戦時体制に組み込まれた備蓄庫。
どこの村にもあった郷倉の風景。今では歴史の彼方に忘れ去られ姿を消した。
東北農民の窮状の歴史を伝える幸生の郷倉も、間もなく取りこわされるという。
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