小笠原 貞介
更新日:2010年8月24日
中央が小笠原貞介
寒河江むかしさがし
市史編纂委員 宇井 啓
今から125年前の明治8年9月8日、楯西村の明学坊屋敷(現在の食堂)に山形病院寒河江分院が開設された。これは寒河江地方の病院の始まりであった。
この院長に任命されたのが大曽根村下反田(現山形市)出身の小笠原貞介。
貞介は嘉永4年(1851年)11月6日、同地の漢方医小笠原秀策の長男として出生。15才で堀田藩柏倉学校で学び、さらに米沢藩医矢尾板道適に師事。明治2年上京して東校(東京大学の前身)で近代医学を修めた。
明治7年には埼玉県衛生科に勤務、翌年山形県に帰り寒河江分病院長を拝命したのであった。下反田の家業を継がなかったのである。
しかし翌年、寒河江分病院は山形病院に合併となってしまった。寒河江の有力者たちは貞介に寒河江に留まって病院を開設して欲しいと懇願した。
小笠原病院の評判が広まり多くの人が集まった。上小路の通りは『病院小路』と呼ばれるようになった。
貞介は多忙な仕事をこなしていった。コレラ予防・トラホーム予防・種痘接種普及・郡立中学創設。
大正14年11月には、花火を打ち上げ、百余名の来賓を招き、医院開業50周年の祝賀会を行った。
しかし、医者の道を志した優秀な子息は夭折した。
貞介は外孫の小笠原頼三に望みを託し、昭和9年9月11日に没した。83才であった。医学の道そして禅の道をも求めた一生であった。
病院小路を行くと、体の弱い母の薬をもらいに通った小笠原医院が眼に浮かぶ。
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