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2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に寒河江ゆかりの大江広元公が登場

更新日:2023年1月18日

設置した看板の写真

 2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に寒河江市ゆかりの大江広元おおえのひろもと公が登場しました。これを契機として広く市内外に寒河江市の歴史を知ってもらい、歴史を活用した郷土愛の醸成と交流人口の拡大を図るため、本市では寒河江と大江氏の関係を軸に、市内外に「大江広元公ゆかりの地寒河江」を発信しています。

 そのスタートとして、市庁舎および市文化センター、フローラ・SAGAEの3ヶ所に看板等を設置。
 令和3年度には「大江氏ゆかりの地・市内ガイドブック」の作成、「大江公物語」の電子書籍化、慈恩寺テラスでの「大江公パネル展」などの事業を実施しました。
 令和4年度には、「大江広元公ゆかりの地寒河江」ののぼり・フラッグの掲示や、市内各所への説明看板の設置、NHKサービスセンター相互協力冊子を作成した他、郷土館特別展や埋蔵文化財フェアで寒河江大江氏に関する特別展を開催し、最上川ふるさと総合公園センターハウスでの大江公ゆかりの地特別展を開催しました。

俳優の栗原英雄くりはらひでおさんを「大江公ゆかりの地さがえ親善大使」に委嘱しました

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で大江広元を演じた栗原英雄さんを「大江公ゆかりの地さがえ親善大使」に委嘱しました。今後はソーシャルネットワーキングサービス等を通して本市の魅力を発信していただきます。

 委嘱は、令和5年1月4日(水曜日)の寒河江市市民新春祝賀会の中で行い、市長から栗原さんに委嘱書、たすき、名刺パネルをお渡ししました。
 栗原さんは、「寒河江は景色がとてもよく、おいしいものがたくさんある。それらを発信していきたい」と意気込みを述べました。

栗原英雄さんプロフィール

 栃木県出身。劇団四季を経て、ドラマやミュージカル等幅広く活躍しています。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で大江広元を演じました。蕎麦が好物。
 寒河江市には劇団四季の公演で一度訪れています。令和4年9月初旬には番組収録で、18日(日曜日)には大河ドラマ「鎌倉殿の13人」スペシャルトークショーに登壇し、第40回神輿の祭典に参加いただきました。

寒河江と大江氏

 源頼朝が平泉の奥州藤原氏を滅ぼしたあとの文治5(1189)年、大江広元(おおえのひろもと)は寒河江荘(さがえのしょう)の地頭に任命され、大江氏による寒河江の統治が始まります。5代目・元顕(もとあき)からの約300年は寒河江を直接治めました。大江氏による統治は、天正12(1584)年に最上義光に滅ぼされるまで約400年続き、本市の姿を形作ったといえます。
 大江氏の家紋「一文字三ツ星」は、市役所庁舎の2階吹き抜けにも刻まれており、寒河江と大江氏のつながりを示しています。

鎌倉幕府の要職を務めた大江広元

 大江広元は、鎌倉幕府の文書作成や財政を担当する政所(まんどころ)や公文所(くもんじょ)と呼ばれる機関の長官である別当(べっとう)でした。今でいう総務大臣や財務大臣といえます。教科書でおなじみの、守護と地頭の設置を源頼朝に勧めたのも広元でした。そのため、広元は幕府の基礎を固めた人物といわれます。また、広元の長男・親広(ちかひろ)は、承久3(1221)年の承久の乱で上皇方に付き、敗者となります。寒河江荘に逃れ、吉川(西川町)や富沢(大江町)に隠れ住み、その生涯を終えたと寒河江一帯には伝わります。

今に残る大江氏とのつながり

 大江広元が寒河江荘(さがえのしょう)の地頭に任命されたとき、寒河江には広元の妻の父・多田仁綱(のりつな)が派遣され、今の本楯に館を築いたと伝わります。

 大江氏が寒河江を直接治めた約300年間に、寒河江城を改修・拡張し、堀の用水として二の堰を引いています。また、楯(城のこと)を高屋・白岩・柴橋に築き、一族を置いて守りに当たらせました。ほかにも市内には、大江氏関係者が創建に関わった寺が多くあります。
 大江氏時代の寒河江城推定図は、寒河江郵便局西隣の丸内緑地内に設置してある看板でご覧いただけます。

「生涯学習のまど」寒河江と大江氏

 市報さがえの「生涯学習のまど」で、寒河江と大江氏と題して掲載しました。リンク先に本文を掲載しておりますので、ご覧ください。

大江公関連事業

市内3カ所に看板等を設置

 市庁舎および市文化センター、フローラ・SAGAEの3カ所に看板等を設置しました。

市内の大江氏ゆかりの地を巡ってみよう「大江氏マップ」

 鎌倉時代から約400年の間、寒河江を治めた大江氏。うち300年は直接治め、この間に大江氏が関わった城、寺社、戦場、用水路は今でも多くが残っています。こうした大江氏ゆかりの地を紹介する「大江氏マップ」を片手に、市内ゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか。

『大江公物語』改訂版

 『大江公物語』は、「大江公入部八百年祭」の一つとして昭和63年(1988年)に制作された絵本です。絵本では、寒河江に伝わる大江氏400年の治世をわかりやすくまとめられています。多くの方に大江氏の治世を改めて知っていただけるよう、イラストを現代風にアレンジし、より親しみやすくした改訂版を製作しました。ぜひ、お読みください。

  • 「大江公入部八百年祭」

 大江広元が寒河江荘の地頭となった文治5年(1189年)から800年となることを記念し、昭和63年に本市で行われた一連のイベントです。現在でも、長岡山の寒河江公園にこの事業の記念碑があります。

「大江広元公ゆかりの地寒河江」ポスター作成

 本市域を大江広元とその子孫が約400年間治めたことから、大江広元ゆかりの地・寒河江としてポスターを製作しました。
 大江氏の家紋「一文字三ツ星」を左上に配置し、寒河江大江氏に関係する場所や市内の名産品をちりばめています。
 ポスターは、大江広元の子孫である毛利元就に関係する広島県安芸高田市や山口県防府市など、広元の子孫にゆかりのある自治体などを中心に県内外に送付しました。
 市内各所に掲示もしてありますので、ぜひご覧ください。

大江氏と毛利元就

 広元の四男に季光(すえみつ)がいます。季光は広元から譲られた毛利荘(神奈川県)を本拠とし、毛利季光と名乗ります。この子孫が中国地方の戦国大名・毛利元就(もうりもとなり)です。そのため、毛利氏も同じ家紋です。江戸時代末、長州(山口県)藩士が戊辰戦争で寒河江に来た際、藩主と同じ先祖を持つ大江氏が建てた寺と知り、法泉寺(本町)を参詣しました。これは、令和2年度発刊の『慈恩寺最上院日記下』の編集で明らかになりました。

関連書籍のご案内

 寒河江と大江氏の関わりについて、市生涯学習課では多くの書籍を発行しています。
 入門編としては『ふるさと寒河江の歴史』、詳しいものは『寒河江市史上巻』などがあり、資料集として『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』があります。

お問い合わせ

寒河江市生涯学習課歴史文化係
寒河江市大字西根字石川西333番地
電話:0237-86-8231 ファックス:0237-86-2201

(代表)cherry@city.sagae.yamagata.jp

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返信する場合がありますので、寒河江市のドメイン(@city.sagae.yamagata.jp)からの
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大江公の歴史

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