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寒河江八幡の馬走り(流鏑馬)

更新日:2022年2月21日

800年の歴史がある寒河江八幡の 馬走り(流鏑馬) 県指定無形文化財
 
 寒河江八幡宮は、今から約800年前の建久2年(1191)、大江親広によって勧請されました。親広の父、広元が鎌倉幕府の重臣だったので、寒河江も鎌倉とそっくりのまちづくりをし、寒河江城の西に八幡宮を置き、流鏑馬(やぶさめ)を導入したのです。寒河江城古絵図の八幡宮のところに馬場が描いてあり、また八幡宮拝殿に宝暦12年(1762)の流鏑馬絵馬が残っていることからもわかります。
 江戸時代のなかごろまで、本格的に、走る馬上から的を射る流鏑馬が行われていました。この日は放生会(ほうじょうえ)といって、舟橋川に生きた鳥や魚を放す儀式が行われていたこともわかります。この放生会に流鏑馬を行う形式は、鎌倉八幡宮と同じでした。
 9月に入ると祭りの準備が始まります。昔は村山地方一円から数頭の馬を選びそれぞれが分担して馬場の柵結い、馬の世話、行事の準備をしました。9日から1週間、馬に乗る人と京参乗り(きょうさのり)という男の子が八幡宮にこもって身を清めて祭りにそなえました。現在は一週間もおこもりはできなくなりましたが、節目の行事は「流鏑馬保存会」の人たちにより、今もしっかりと守り伝えられています。
 12日、3頭の馬が来て、馬場ならしと鞍祭りを行い、安全を祈ります。15日がいよいよ全国的にも珍しい「馬走り」の本番です。神事のあと、「古式流鏑馬」を行います。保存会の騎士たちが、次々に3つの的に走る馬上から矢を射ます。命中するたび、バシッと大きな音がして、観客から歓声が上がります。3本の矢を全部当てた人は、京参乗りから白い布を褒美に贈られ、これはもらう時、弓で受け取るのです。
 次が翌年の稲の作柄を占う「作試し流鏑馬」です。少年が金棒を引いてきて、そのあと3頭の馬が走ります。一の馬、二の馬、三の馬と早い順に出発させるのですが、その年によって勝負の順番は変わります。順序よくゴールした年は作柄は順当、一の馬が勝つと早稲(わせ)、二の馬が勝つと中稲(なかて)、三の馬が勝つと晩稲(おくて)が豊作と予想するのです。
 寒河江や近くの町村からたくさんの人々が見物に来てにぎわいました。「馬走り」は昔から寒河江の秋の風物詩でした。寒河江地方は、平安時代から有名な馬の産地でした。このことも馬走りが続いてきた理由かもしれません。

平成24年3月市立図書館発行「寒河江の人物・行事リーフレット」より

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