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岩根沢から来た家

更新日:2010年8月20日

寒河江むかしさがし
 市史編纂委員 宇井 啓
 昭和58年。苗代の残る寒河江新山に下った片倉惟永(かたくらよしのり)家。代々「平吉」を名乗り、岩根沢に栄えた。
 江戸時代は、三代ほど岩根沢村の名主となる。文政3年(1820年)の伊勢参宮道中記をはじめ、今回、国の重要文化財となった旧岩根沢日月寺本坊の設計図など、貴重な資料を残す。
 明治期は、3階建ての養蚕家屋。夏に20人ほどを使用して蚕を飼い、冬は紙漉きをして豊かであった。
 先代の吉治は、黒溝台(こっこうだい)の戦いの生き残り。大正初めころまで、夏、多く
の道者(どうじゃ)が来た岩根沢社務所前の夜店に、月山大雪城(おおゆきじろ)から雪を運
んだという。夜中に出かけて25貫目の氷雪を背負って下ると、ゾーゾーと溶けて、村に着くころには10貫目ほどに減るのだった。
 子どものころ、当主も「百人講(こう)」などという大勢の道者が来ると、鼓笛隊で綱取(つなとり)まで迎えに出たという。
 この人は、昭和30年6月4日、高松宮殿下が岩根沢から登られて夏山スキーを楽しまれたころから、姥沢(うばさわ)にリフトが完成したころまで、「清川行人小屋(きよかわぎょうにんごや)」の管理人をしたり、岩根沢口の道者の山先達(やませんだつ)を勤めた。
 先達になると、午前1時ごろ岩根沢を出発し、拝所(はいしょ)、拝所で祝詞(のりと)をあげ道者に賽銭(さいせん)をまかせた。ガスのかかった大雪城を通るときは、呼子(よびこ)を吹いて雪渓終わりの大石まで案内した。何回も上り下りした登拝道(とはいどう)のようすを昨日のことのように語る。
 残してきた土蔵の雪下ろし。今年6回。あした残雪の岩根沢にいも植えに行くと、片倉さんは目を輝かせた。

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