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梅本坊の医師たち

更新日:2010年8月23日

寒河江むかしさがし
 市史編纂委員 宇井 啓
 慈恩寺三重塔の西方。眺望のきく高台に立つ梅本坊。
 すでに8世紀に開かれたと伝える古い坊。慶長13年(1608年)、最上義光が建立した三重塔の普請奉行(ふしんぶぎょう)として現在地に移ってきたという。
 江戸時代は朱印地15石を持ち、輪番別当と称して代々寺務を担当した。残る古文書も多く、3088点に上る。和本の蔵書もなんと500冊を超える。この中に医学書は80冊ほど。
 古い医学書。永禄5年(1562年)の『察病指南(さつびょうしなん)』新しいのは『解剖学内臓篇』 梅本坊の系譜を見ると、医師であったと思われるのは、第43世宥信(ゆうしん)。第51世宥知(ゆうち)は医書に署名がある。
 第56世宥帳(ゆうちょう)は、江戸に出て医学を学んだと伝える。梅本坊居宅は、奥が8畳・8畳の2間。中が12畳・6畳・3畳の3間。診察室は庭の見える6畳が当てられたのだろう。
 宥帳は観音堂を建て、書画骨董・品物・雛人形など集めて豊かであった。
 その長男一学(いちがく)も医師。梅瓶(ばいへい)と号し俳諧をたしなむ。この人は近くの要害(ようがい)(田沢)に分家して医師を続けた。
 梅本坊相伝の秘薬は、「やけど」の薬。ちなみに、桜沢坊は「目薬」、証誠坊は「腎臓」の薬と伝える。
 梅本坊57世は二男の宥明(ゆうめい)がつぎ、衛守(えもり)・文舜(ぶんしゅん)と続く。衛守は、「銀杏大樹(いちょうたいじゅ) コスモスの花 楚々として」と梅本坊の庭を詠む。
 樹々の中を上り切ると、緑の中に400年前そのままの梅本坊。稲荷堂が清められ錦鯉が池に遊ぶ。
 梅本坊の医師たちが育った庭は、静寂の中にあった。

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