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入倉の出征兵士

更新日:2010年8月24日

寒河江むかしさがし
 市史編纂委員 宇井 啓
 日露戦役の時、三泉村出身の兵士は12名。その中に入倉の船田五郎(博家)がいた。
 五郎は、山形連隊の訓練を経て、極寒の黒溝台の激戦を経て帰郷した。
 その子武雄も近衛兵として皇居整備に当り2・26事件に遭遇。翌昭和12年の夏、中国大陸に渡り決死隊を指揮。激戦の最中、ムラの神様や家族の幻影を見たという。
 再び昭和17年の出征の時も、ムラの中の大神宮・金毘羅・荷渡・明星・愛宕などすべての小祠に武運長久を祈り、地蔵様の前の広場で入倉の壮行式にのぞんだ。酒・豆・田作・数の子が出て、万歳で送られた。
 三泉村では役場の前で激励をうけ、小学生の楽隊に送られて、ハカセの前を通り、寒河江川橋南の柳の下で村人と別れた。
 再び柳の下を通って、ムラに帰れない人たちがいた。
 武雄の弟鶴雄は、サイパン島で玉砕。22歳。
 30戸に満たぬ入倉の戦死者は、若い人8名だった。なかでも、中村政行家では3名を失った。父とその弟はフィリピンで、もう1人の弟は岡崎市上空でB29に体当たりして果てたという。
 家族を思いながらも生還できなかった人は、三泉村全体で103名。柳の大木は、この人たちの姿を再び見ることはなかった。
 船田家の奥屋敷。ズラリと戦争の世紀の感状が並ぶ。
 男まさりに働いて銃後を守った武雄の奥さんも居って、今なお戦争の記憶を色こくとどめていた。

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