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「秋元」より「秋山」へ

更新日:2010年8月23日

寒河江むかしさがし
 市史編纂委員 宇井 啓
 中郷にある「秋山」という苗字(みょうじ)は、源蔵(克彦)・卯右衛門(明敏)・宇十郎(健一)の三家。もと、この「秋山」は「秋元(あきもと)」だったという。
 天保13年(1842年)中郷村の領主は、山形・秋元氏に代わる。領主と同じ苗字では恐れ多いと、「秋元」から「秋山」という姓に変えたものと伝える。
 江戸時代、多くの平民は苗字を持っていたが名乗ることは許されなかった。
 明治3年、政府は平民に苗字を許した。同5年の壬申戸籍(じんしんこせき)では、戸籍名を苗字とした。同8年2月13日の布告(ふこく)で、どの人も必ず苗字をつけるようになった。
 秋山氏の人々は、一時はもとの「秋元」を称したが、正式に「秋山」を名乗って今日に至る。
 宝暦2年(1752年)の秋元源蔵家の系図(けいず)調書によると、秋元家は武州(東京・埼玉)の「秋元」らしく、武士であった秋元右馬佐(うまのすけ)が足立郡槐戸村(あだちぐんかいとむら)(現草加市八幡町)に土着したとある。
 この末裔(まつえい)が、近世初頭に羽州中郷村に下ったのであった。同家から伝燈大阿闍梨法印天慧(でんとうだいあじゃりほういんてんけい)という高僧が出ている。
 ちなみに、この槐戸村の観音寺は慈恩寺宝蔵院との関係が深く、4名の住職が行き来している。
 中郷坂下に土着した秋元家は、銀杏の大木のある屋敷内に西国三十三観音を祭り「お観音」と称されたが、故あって川口原に移る。
 行沢(なめざ)という小さな沢の左岸。もとの観音屋敷はりんご畑となり、輝く白雪におおわれていた。

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