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七夕さま

更新日:2022年3月8日

子どもたちが楽しんだ七夕さま 
 夏になると、晴れた夜空に淡く光って、無数の星の集まりが川の流れのように見える。これをいつの頃からか天の川と呼ぶようになり、さまざま伝説が誕生した。天の川の両岸にある牽牛星と織姫星が年に一度だけ会えるという「織姫と彦星」の中国の伝説がある。
 7月7日の夜は、星を祭る年中行事が行われる。中国の風習と日本の「たなばたつめ」(機を織る女)の信仰があわさったものであろうと言われている。
 七夕の行事は古く奈良時代から行われ、江戸時代には一般の人々の間にも広がってきた。
 ごく最近は幼稚園や保育園、子ども会、学校などで、室内に七夕の飾りをつくりその下でおいしい物を食べたり歌ったり踊ったりとレクリェーションとして楽しむようになった。
 昭和の時代は葉の広がった太い新しい青竹を刈ってきて、庭に立てたり小屋の柱に結わえ付けたりした。そして短冊に書道や裁縫がうまくなるようにと願いごとを書いて結びつけた。折り紙やきれいな包装紙等で網状の長い飾りを作って下げたりもした。庭に立てた青竹の前に筵(むしろ)をしいて友達と遊んだり歌を歌ったりした。机を持ち出してその上に胡瓜、瓜、茄子、豆、ささぎ等を供えた。
 また友だちとグループをつくり夜食の米を出し合い、五目飯を炊いてもらって七夕飾りの前で食べたりもした。七夕での最高の楽しみであった。
 農村の七夕まつりは、本来農作物の平穏無事を祈る行事と、悪霊やけがれを取り除くのが目的であったので、七夕かざりは翌朝早く川に流した。
 子どもたちは、大人と一緒に結わえ付けていた七夕かざりをはずして、肩に担いだりリヤカーに積んだりして、田んぼ道を通り、最上川まで運んで行って流した(高屋地区)。
 ひんやりとした空気、朝霧の立ち込めたなんとも言えない風情の中での行事であった。
 七夕まつりは、時代とともに賑やかになっていった。昭和32年から寒河江では西ノ町通りを中心に「七夕・温泉まつり」が開かれた。仙台の七夕祭りを模したものであった。近郷近在から多くの人々が集まり賑わった。いつの間にかまちなかの七夕まつりも無くなった。

平成29年3月市立図書館発行「寒河江の人物・行事」リーフレットより


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