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寒河江市



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公平氏系図

更新日:2010年8月23日

寒河江むかしさがし
 市史編纂委員 宇井 啓
 日田の公平忠家に伝わる貴重な系図一巻。
 先祖の新田重通(にったしげみち)は、室町時代の中ごろ、下野(しもつけ)・都賀郡吉田館(つがのこおりよしだのたち)(現栃木県南河内町か)から日田に移る。
 なぜか山形城主最上治部大輔満氏(みつうじ)を頼って、この寒河江郷に一五〇貫の地を賜わる。
 その後五代まで最上氏に仕えたのであった。
 最上川の西部、しかも寒河江大江氏の咽(のど)もと近くに、山形最上氏の息のかかった新田氏が館を構えていたことになる。
 ところが、五代公義(きみよし)は新田加賀守を名乗り、六代公平(きみひら)も新田館(にったたち)に住み、寒河江大江氏に味方した。
 天正12年(1584年)公平の弟の義久は、寒河江方の橋間勘十郎に従い、「義光合戦(よしあきがっせん)」に参加して討死したのである。
 公平も、山形最上勢に攻められ水戸に逃がれ、後に新田館址に「公平山福正寺」という寺院を建立したと伝える。
 系図に、「氏を改め公平(こうへい)と号す」とある。
 江戸時代、新田氏の末裔である公平家では、水戸まで出かけて行って流れていった系図を買いもどした。
 「公平」という苗字も、公家(くげ)を憚(はばか)り、「国井」に変えたという。
 日田に栄えた公平一族は、五郎右衛門・五右衛門・伊右衛門など。いずれも上山藩新田村庄屋を交代して勤めた。
 公平忠家(五右衛門)は当主で19代を数える。大きな入母屋造(いりもやづくり)の屋根は、もとの家格を表す。懐かしい送り戸と戸袋(とぶくろ)。系図を伝える家は20年ぶりの深い雪の中にあった。

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